・藤田敦史【駒沢大新監督】年齢/経歴や評判は?
・大八木監督の教え子で仲は良い?
についてお話しするね。
藤田敦史【駒沢大新監督】年齢/経歴や評判は?
藤田敦史監督の年齢
- 藤田敦史監督は、1976年11月6日生まれ、2023年11月時点での47歳です。
- 福島県白河市(旧:西白河郡東村)出身です。
- 身長は166cm、体重は52kgです。
- 小中学校は地元の学校に通っていました。
幼少期は、運動が苦手で、走るのも遅く球技もできない少年だったそうです!でも、陸上選手として活躍するまでになったのはすごいよね~相当、練習や努力もしたのかな?
中学時代はテニス部所属で、その時、校内マラソン大会で上位に入ったことがきっかけで、長距離に目覚めました。
高校進学にあたり、勉強と陸上の両立ができるという理由で、開校から間もない県立清陵情報高校に入学しました。
県立清陵情報高校は、偏差値50ぐらいで、著名な人にラグビーの大野均選手やマラソン選手の橋本康子さんも出身だよ。
高校時代は、貧血や自宅からの距離などの問題に悩んだそうですが、自分の取り組み方を変えて、陸上と勉強の両方で成果を出し大学は駒澤大学へ進学しました。
大学時代、貧血だったので寮母をしていた大八木監督の奥さん(京子さん)にレバーをたくさん食べさせられたというエピソードもあるみたい!
藤田敦史監督の経歴
大学時代、当時の大八木監督の指導を受けて力をつけていきました。
4年間で箱根駅伝に4回出場し、当時順天堂大学のエースだった三代直樹選手(富士通)と東海大学の諏訪利成選手(日清食品)たちと名勝負もしました。
三代直樹選手(富士通)は、箱根駅伝2区元区間記録保持者。
東海大学の諏訪利成選手(日清食品)は、アテネオリンピック男子マラソン6位入賞者だよ。
4年生の時には4区で1時間0分56秒の区間新記録を樹立しました。この記録は、2006年に距離が短縮されるまで区間記録として残りましたが、2019年に相澤晃選手(当時東洋大学3年、藤田氏と同じ福島県出身)によって更新されました。
新記録達成時の藤田敦史監督!『走る』ことに全力でかっこいい~♪
駒澤大学卒業後は、富士通に入社しました。
富士通では、1999年の世界選手権セビリア大会で6位入賞、2000年の福岡国際マラソンで優勝し、2時間06分51秒の日本記録を樹立しました。この記録は、2002年に高岡寿成選手によって更新されるまで日本最高記録でした。また、この大会は陸上日本選手権マラソン競技も兼ねており、日本選手権記録でもあります。
2001年の世界選手権エドモントン大会では、坐骨神経痛の影響で12位に終わりました。その後も足腰の怪我に悩まされました。
ケガにより、オリンピックの代表入りは一度も果たせなかったのは、ご本人も辛かったかもしれないね。
2013年のびわ湖毎日マラソンで途中棄権した後、現役引退を表明しました。
藤田敦史監督のこれまでの出場記録をまとめたよ~
現役引退後は、富士通でコーチを務めましたが、2015年から駒澤大学に出向し、ヘッドコーチに就任しました。
2021年の箱根駅伝で、駒澤大学が史上5校目の学生駅伝三冠を達成した後、大八木氏の退任が発表され、同時に藤田氏の監督就任しました!
藤田敦史監督の評判(口コミ)
前監督の大八木監督は、藤田敦史監督=教え子について、
「几帳面な所やまじめな所、選手との話し合いも多くやっている。話すのはとても上手。俺よりも上手だと思うから、選手への説得を始めとして(選手を)導いていってあげればまた面白くなるのかなと」
と、語っています。
また、藤田敦史監督をこのように評価しています!
- 自分のことをしっかりと見つめ、厳しく取り組むことのできる人物
- 選手の立場に立って考えることができるコーチ
駒澤大学の選手たちは、藤田敦史監督の指導に対して、
「自分たちの意見も聞いてくれるし、自分たちがやりたいことをやらせてくれる。自分たちが選んだ練習だから、責任を持ってやらないといけないと思う」
と話しています。
藤田敦史監督は、前大八木監督のカリスマ性とはまた違うタイプの指導者と言えますね。
藤田敦史【駒澤大新監督】大八木監督の教え子で仲は良い?
藤田敦史監督と大八木監督の関係は、しっかりした絆で結ばれた仲の良い師弟関係だと考えられます!
藤田敦史監督と大八木監督の出会い
藤田敦史監督が大学1年の時に、当時低迷していた駒澤大学の陸上部にコーチとしてOBの大八木監督が就任しました。
藤田敦史監督が大八木監督への第一印象は、大八木監督の歓迎会で「この怖い人誰!?」だったそうです。
そして、藤田敦史監督が身体の不調だったのを1発で『貧血』と当てたのは大八木監督だったそうです。それからは、大八木監督は藤田敦史監督に鉄の多いものをたくさん食べ貧血を克服させ、予選会ではチーム内で1位となり箱根駅伝で1区に抜擢されます。
昨年まで無名の選手が区間2位という結果はすさまじいものでした!
その後も、駒澤大学は藤田線敦史監督と強くなっていきました。藤田敦史監督が大学4年生の頃、駒澤大学の初優勝が見える位置まで来ます。
藤田敦史監督は、無名だった自分をここまで育ててくれた大八木監督に自分の走りで優勝することだったみたいだね。
ここまで想えるのは、お互いに信頼していないとできないし、大八木監督の指導や練習にしっかりついてきた藤田敦史監督の想いも想像以上!!
大八木監督も藤田敦史監督に対して、息子のような存在だったのかな~
その後、藤田敦史監督は、出雲、全日本ともに優勝しますが、箱根駅伝の初優勝は最後の最後で順天堂大学の高橋選手に逆転されました。
初優勝を逃し悔しい想いをした藤田敦史監督でしたが、その目は未来をむいていて、箱根駅伝4日後のびわ湖マラソンで学生新記録を更新!
大八木監督にも「よくやった!!」と初めてほめられたそうです。この後も、藤田敦史監督はマラソンを続けながら色んな大会に出場し活躍します。
これからも藤田敦史監督と大八木監督、いい関係でいてほしいね。
藤田敦史【駒澤大新監督】監督就任に対する反応は?
藤田敦史監督就任に対しては、陸上界やメディアからさまざまな反応が寄せられ、藤田監督の実績や人柄を評価し、駒澤大学の強さを維持することに期待する声が多く聞かれました。
例えば、元箱根駅伝選手で現在は解説者やコメンテーターとして活躍する瀬古利彦さんは、藤田敦史監督についてコメントしています。
「日本のマラソン界のレジェンドであり、駒澤大学のOBでもある。大八木さんの後を継ぐというのは、重圧もあると思うが、自分の経験や考え方を生かして、駒澤大学の伝統を引き継いでいってほしい」
また、元箱根駅伝選手は、こう話しています。
「大八木さんとは違うタイプの指導者だと思うが、それが新しい風を吹き込むことになると思う。藤田さんは、選手とのコミュニケーションを大切にするし、自分の考えをしっかり持っている。選手たちにとっても、刺激になると思う」
一方で、藤田敦史監督の就任に対しては、懸念や疑問を持つ声もありました。
- 大八木さんのカリスマ性に比べると、藤田さんは地味な印象がある。
- 駒澤大学の選手たちは、大八木さんの言葉に強く影響されていたと思うが、藤田さんにはそういう力があるのかどうか。
- 藤田さんは、自分の現役時代にはオリンピックに出場できなかったというコンプレックスがあると言われている。そのため、選手たちにマラソンに挑戦させることに執着するのではないか。それが、駅伝の強さに影響しないか。
- 藤田さんは、自分のやり方にこだわるタイプだと思う。それは、自分の経験や信念に基づいているのだろうが、選手たちにとっては、柔軟性がないと感じるかもしれない。
- 藤田さんは、大八木さんとは違って、監督としての経験がない。それが、チームの運営や戦略に影響しないか。
さまざまな意見があるけど、藤田敦史監督も指導者として走りだしたばかり!また、色んな意見がるということは、指導者として可能性が無限大!という事にもつながるよね。
藤田敦史【駒澤大新監督】今後の展望は?
藤田敦史監督は、監督就任にあたり、「大八木さんの築き上げたものを引き継ぎながら、自分の色を出していきたい」と語っています。
藤田敦史監督は、大八木監督の指導方針を尊重しつつも、自分の考えや経験を生かして、駒澤大学の陸上競技部をさらに強くすることを目指しています。
藤田敦史監督は、選手たちに対して、「自分たちがやりたいことをやらせてくれる」という信頼を得ていますが、同時に、「自分たちが選んだ練習だから、責任を持ってやらないといけない」という意識を持たせています。
選手たちに自主性と責任感を持たせることで、成長を促しています。
また、敦史監督は、選手たちにマラソンに挑戦させることにも積極的で、自分の現役時代にはオリンピックに出場できなかったというコンプレックスがあると言われていますが、それは選手たちにマラソンの魅力や可能性を伝えることにもつながっています。
藤田敦史監督は、駒澤大学の陸上競技部を、駅伝だけでなく、マラソンでも日本を代表するチームにすることを目標にしていますね。
まとめ
今回は、駒澤大新監督【藤田敦史】年齢/経歴や評判は?大八木監督の教え子で仲は良い?についてお話してきました。
藤田敦史監督は、現在47歳。
大八木監督の教え子で、学生の頃から信頼関係をかなり気づいてきたこともわかりました。
これから藤田敦史監督がつくっていく駒澤大学の陸上競技部活躍がさらに楽しみですね!