についてまとめました!
\パリ五輪2024『ブレイキンのメダリスト候補』については下のリンクから/
石川勝之(カツワン)wikiプロフィールは?
石川勝之(カツワン)さんのwikiプロフィールを紹介します。
体育の先生の資格もその時に取得したようですが…大学1年生のころダンスの世界にどっぷりはまる出来事があったんだって。
元々、ダンスに興味があり、テレビで見て憧れていたダンス甲子園に影響を受けやってきたダンス。
通学途中でにダンスができる場所を探し見つけた場所で、ロスの大会にという先輩に出会いカツワンさんも同行しました。
カツワンさん、大学1年生の夏休みの出来事です。
海外では、空港に降りた瞬間から、空港の匂いや空の色。多くの人種に衝撃を受けました。また、大会では、『下手』でも果敢に挑戦する海外の人の姿が印象的だったそうです。
この出来事で、大学生の4年間は長期休みになると海外に行ってダンスをしていたようだよ。
カツワンさんが、ダンスにはまった経緯がわかりましたね。
では、カツワンさんの経歴も見ていきましょう!
石川勝之(カツワン)の経歴は?
石川勝之さんの経歴は、スポーツ一筋だけではありませんでした。
これまでの経歴を大きく3つにわけてご紹介します。
海外に移住し、経営者まで!活動範囲や活動の幅も広いね♪
ブレイキンを本格始動した大学時代
石川勝之さんは、日本体育大学に入学してからブレイキンを本格的にはじめました。
大学の長期休みには海外に行き、『B-BOY』というだけで友達がすぐにできたようです。
環境適応能力が高い!
大学4年間、長期休みは海外生活を繰り返す中で、ダンスを通して多くの経験をしたカツワンさん。
周りは就職活動をする中、焦りもあったようですが、それ以上に「就職している場合ではない!」ともっと極めたい気持ちが強くなったカツワンさん。
両親には就職しないことに対して反対されたそうですが1年だけ!と約束しダンスをすることを説得しました。
親心としては、心配しますよね。でも最終的に応援してくれて素敵な両親だよね。
カツワンさんの強い想いが両親に伝わったんだよね。
大学卒業後、カツワンさんは2005年にニュージーランドの大会で優勝したことにより、現地新聞にも掲載されました。
また、その後も大会やコンテストで勝つようになり、カツワンさんの活躍に両親も喜んでくれたそうです。
2010年にはオーストラリアへ移住
大学卒業後からダンサーとしての実績を多く重ね、夢を叶える中でカツワンさんは30歳を前にある疑問をいだくようになります。
それは、
違う環境を求め、ワーキングホリデーでオーストラリアのメルボルンに移住する決断をしました。
ダンスで成功していたのに、自分の人生を見つめなおすのがすごい!
メルボルンでは、ダンサーカツワンの名を一度捨て、「石川勝之」としてどれだけ通用するか、乗り込みました。
これまで、海外経験があったので英語には自信があったカツワンさん。しかし、BBOY仲間と話していた英語は日常生活の英語には全く通じずわからない。と、言葉の壁にぶつかりました。
自信があったものが通用しないとなると自信喪失だよね。
言葉の壁にストレスを感じ、3か月で日本に帰ろうとしたカツワンさんですが、仲間からもらった寄せ書きの「行動すごいです!憧れています」の言葉に勇気づけられました。
ちょうどその頃に、B-boy KATSU1がオーストラリアにいると噂が立ち、ダンスや審査員の仕事が来るようになりました。
このことからカツワンさんは、
と思い、オーストラリアでの生活を続行しました。
カツワンさんがオーストラリアにいるべき理由、ダンスを続けるようにまた道が開かれた瞬間だね!
ダンスの神様がついているみたい♪
その後、カツワンさんの生活は、
- 午前中からお昼過ぎまでは工場勤務
- 午後はダンス
という生活を2年くらい続け、もう少しオーストラリアにいたい!と考えてカツワンさんは永住権にアーティストビザがあることを知り永住権を取得しました。
そしてここからカツワンさんは新たな道を切り開いてきます!
2013年に会社設立
カツワンさんがオーストラリアに移住しているときに旅行で訪れたフィリピンやベトナムでストリートチルドレンと出会いました。
物売りの少年と仲良くなったカツワンさんは、1個2円のお菓子を買おうとしましたが『そのお金は子どもを使うマネジャーに渡り、ストリートの子どもが増えるだけ』と地元の友人に言われ、貧困の実態を目の当たりにしました。
カツワンさんは、この時、どうにかしたい!という気持ちになったんだね。
子供を救うためにはお金が必要と思い立ったカツワンは、お金が必要なら会社を作ればいいと日本に帰国後の2013年に株式会社IAM(アイアム)を設立しました。
カツワンさんの人柄が人情味のある人と想像できるね。
この会社の運営方法は、ブレイキンのイベント企画し手掛ける会社で、ブレイキンも教えることで収益を得るという方法です。
カツワンさんもダンス(ブレイキン)の文化を伝える手段にもなり、お金も稼げるとストリートチルドレンを救うための資金作りの夢も叶いますよね。
ソーシャルビジネスという形を通して自分の想いを形にして社会に彩を加えていく…カツワンさんの行動力は本当に見習いたい、カツワンさんの魅力の1つです。
最後に、カツワンさんの経歴をまとめました!
カツワンさんの今後の活躍も楽しみですね。
石川勝之(カツワン)の教師挫折の裏話とは?
カツワンさんは、大学在学中、教育実習として出向いた学校で生徒がブレイキンを教えてほしい!との要望に応えたところ職員室で注意喚起されました。
今でさえブレイキンがパリオリンピックの新種目となり注目されるようになりましたが、それまでブレイキンの存在を知らない人が多かったように思います。
20年前の教育現場なんて、まだまだ新しいことを取り入れることは難しい時代背景もあったと考えられるよね。
ブレイキンの世界に一直線!カツワンさんにとって運命の出来事だったのかも。
カツワンさんはまだ42歳ですが、カツワンさんのこれまでの人生を振り返ると、非常に濃い人生を送っていることがわかりますね。
カツワンさん率いるパリオリンピック2024の出場ダンサーがメダルを獲得することが楽しみです。
【まとめ】石川勝之(カツワン)wikiプロフィールや経歴は?教師挫折の裏話も!
- カツワンさんは、大学時代にブレイキンを本格的にはじめ、幾度の挫折にも立ち向かい、ダンスの道を突き進んできた人生だったということがわかりました。
- 海外でのダンス以外の学びや経験を通して、ソーシャルビジネスという目標をたて会社を設立しました。
カツワンさんの魅力的な人柄もよくわかりましたね。
\パリ五輪2024『ブレイキンのメダリスト候補』については下のリンクから/